江戸時代までこの池は、南北に流れる天王川という川の
一部でした
ですから池の両側には、堤防が残っています
ここは、日本の歴史公園百選に選ばれております
昭和54年から平成4年にかけて藤棚を整備し、現在総面積4,530u、
総延長275mに及ぶ藤棚には、九尺藤(キュウシャクフジ)を中心に9種類
紫加比丹藤(ムラサキカヒタンフジ)、白加比丹藤(シロカヒタンフジ)、紫藤(ムラサキフジ)、
白野田藤(シロノダフジ)、野田長藤(ノダナガフジ)、曙藤(アケボノフジ)
八重黒竜藤(ユエコクリュウフジ)、黒竜藤(コクリュウフジ)が植えられています。
4月下旬から5月上旬には、薄紫の藤のトンネルが飾られます。
萱津橋の藤に比べるとまだ若いが歳を追って良くなってきました
津島神社の祭礼として500年以上も続いています。
永禄3年(1560年)桶狭間の戦いの2年前、夫人同伴でやってきた織田信長は、現在の
御旅所付近にかけられていた天王橋(明治初期までは川)からこのまつりを見物して います。
本能寺の変が伝えられるとまつりの準備が中止され、山崎の合戦で秀吉が 勝利した後、
信長をいたんで飾りをつけず素車(すぐるま)で川を渡しました。
また、このまつりが気に入った秀吉は、京都の淀川にまつりを移そうとしたほどだと
いわれています。
江戸時代には、初代藩主も、代々まつり見物を習わしとして津島を訪れ、中には
名古屋城の池でこのまつりを模して楽しんだ藩主もいたようです。